ギャンブルと最初に出会ったのは、大学3年生の梅雨時だった。
バイトを辞めたばかりで、「何か新しいことをしたい」と、ちょうど考えていた時期だ。
「新しいことをしたいけれど、何をしよう?」
下手の横好きだけれど、将棋が好きだった僕は、
とりあえず、大学にある少し離れたサークル棟へ足を運んだ。
将棋サークルの人たちは、ゆるく僕を迎え入れてくれた。
ある程度将棋ができるということで、何局か指してもらうことに。
しばらくして、ある部員が声をかけてきた。
部「俺たち今からパチスロ行くから、ハヤトも一緒に行こうよ」
ハ「行くのはいいけど、俺は絶対打たないよ」
それはもう幼い頃からギャンブルというものに苦手意識があったので、
この時は、「絶対自分が(パチンコを)打つわけない」 と思っていた。
ギャンブルというものに“苦い思い出”があったのだ――。
ーーー
僕が幼い頃、父はギャンブル中毒だった。
週に何度も行っていたらしい。僕もなんとなく連れて行ってもらった記憶がある。
台所の壁にあるカレンダーに、勝ち負けの記録があったのを今でも覚えている。
負けた日は赤。勝った日は黒で、その金額が記載されていた。
そして、カレンダーの右端には「子供の将来を考えて」。
記録していたのは母だった。
「いい加減ギャンブルやめてくれ」という意図で、
毎日その収支を記録していたのだと思う。
カレンダーは、ほとんど赤。つまり負けた日が多かった。
母は何度もやめてほしいと言っていたが、父はギャンブルをやめようとはしなかった。
そもそも、僕の両親は仲が悪かった。
小さいときから仲良くしている二人の姿を見たことがない。
ただでさえ仲が悪いのに、父がギャンブルで負けると、
双方機嫌が悪くなって、家庭内の空気はどんよりとしたものになる。
そういった光景をもう何度も見ていたから、幼いながらにずっと思っていた。
「ギャンブルって怖いんだ。やってはいけないものなんだなぁ……」と。
ーーー
そんな僕がパチスロに行くことになるとは。
「まあ、友達付き合いの一環だし、実際に打つわけじゃないから大丈夫」。
友達は、パチ屋に着いたら早速、サンドに金を入れて打ち始めた。
サンドというのは、いわゆるパチンコ玉などが出てくるあの機械のことだ。
(そんな簡単に1000円札を突っ込んじゃうんだ?)
そう思ったのを覚えている。
(打っていたのは4号機の吉宗だったような)
ハ「スゴいねー。よくやるねー」(やや引き気味に)
部「ハヤトもやってみなよ?」
ハ「いやいや……」
部「これなら当たるかもだよ?」
初代のカイジ(4号機)だった。
当時はカイジが何の漫画かも知らず、
「社会勉強っていう意味なら…」と渋々打つことにした。
まさか、この日この瞬間が人生の分岐点になるとは……。
(つづく)